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BLOOD SPORT KEIBA
自分が競馬と初めて出合ったのは1987年でした。 その当時7歳だった自分の叔母にあたる人が結婚をしました。そのお相手の家族や親戚が、馬産や 厩務員や馬主をやられている方でした。それまで競馬というものを知らなかった自分は、その親戚の所へ 初めて遊びに行き、今にして思えば衝撃を受けたのだと思います。大人が馬に夢中になっている。 ここの馬達は観光地で子供を乗せるのではなく、レースに行って一番速く走るために居るんだと子供ながらに 感じました。凄く活気があって、みんな夢中になっている。大人達が夢中になっている・・・。 そしてどの馬にも必ず共通していたのが綺麗な目。毛色や大きさは違えどそれだけは一緒だった事を 覚えています。 そして、それから時間など要らずして競馬というものにどっぷりと惹かれていきました。 これが自分と競馬との最初の出会いでした。 後のオグリキャップのデビューもこの年でした。 それからは、小学校が終わると毎日のように親戚の牧場に行き、ずっと馬を見ていました。 ただずっと見ているだけです。全然飽きない。むしろどんどん惹かれていく。それが自分の日課となって いました。そしてそこには自分の知らない言葉ばかりが飛び交っていて、競走馬に関わる人達の口から出る 言葉に好奇心だらけでした。サラブレット?アラブ?サラ系?ハイセイコー?タケホープ?テンポイント? トウショウボーイ?ライジングフレーム?ソエ?エビ?グイッポ?当歳?なんだそれ?子供が 大人の物事に憧れるまさしくそれでした。そしてこの時期に一番惹かれたのが血統。これは現在に至るまで一番自分を 競馬に憑りつかさせたものだと思う。親戚の家には「世界の血統全集」や「年度別生産馬名簿」や「競馬四季報」 というのが何十年分も置いてあって、もはや暗記してしまう勢いで読んでいました。とくに競馬四季報が 大好きで、中央競馬登録馬のみだったが、現役全馬の血統から成績が載っていて、文章なんてのは ほとんど無く血統と成績メイン、そこがまた素晴らしくて、小学生の自分には最高の教科書となっていました。 この父の子で、母系が、近親が、と遡ると競走馬一頭には無限の要素と未知なる魅力がありました。 だからいつまでも血統の競技、馬と馬との競争、人と人との競争だと思う。だから競馬は辞められない。 それから二年もすると半人前に馬と血統を語るようになっていました。幼少時の身体能力、記憶能力は凄いと思う。 なんでも小さい頃に培ったものって一生消えないと言うのも、分かる気がします。 けどその当時周りに馬を話せる小学生は居るはず無く、もっぱら友達は厩務員や牧場の人達でした。 まぁその方が楽しかったのですが。血統の話しなどで言い負かされると悔しくて悔しくて、子供心に余計に火が点いたものでした。 そのころの夢は当然、騎手でした。 厩務員のおじさんと毎朝4時に競馬場に行き調教を見て、馬を洗って飼葉をつけて、七時に家に戻り小学校に行き、 学校が終わると、調教師の先生に乗馬を教えてもらい、馬の引き方なども教えてもらいました。憧れたのは武豊騎手でした。 それから馬の生産や休養馬の手入れなんかも大人に混じってやっていました。 生産は感動でした。産まれる前後は決まって生産者は雄が雄が、と話しますが生まれる瞬間だけは、どっちでも良いから無事に 産まれて来いと思っています。それを子供ながらにも難しくは考えていました。けれどやっぱり無事に産まれた当歳が 元気に放牧地で跳んでいる姿を見ると嬉しくなったものです。この当歳はどんな馬になるんだろうって期待だけでした。 そんな馬達がまず、健康に産まれる産まれない、買い手が着く着かない、無事馴致が出来る出来ない、無事にデビュー出来る出来ない、 そうして初めてレースに出れて、一勝という大きな大きな結果を捕りに行く。ここまでだって大いに奇跡だと思う。 だから見てきた当歳が勝利を飾ると本当に嬉しくなる。G1馬やOP馬はやっぱり夢のような存在だと思う。 そして生産者が一番ギャンブルであるとも思いました。 現在も1ファンですがこれからもずっと競馬を応援していきたいと思う。 競馬は本当に果て無く奥深いものだと思う。 そして結論の無いものだと思う。馬自体も血統も技術も進化し続ける。 そしてその進化の源には、常に古き良き血統と馬産が生きてきた証があると思う。 今もまだ、これからも永遠に競馬に惹かれていくと思います。 |